奈良県出身→早大法学部卒→弁護士秘書として勤務→結婚して4人の子供を出産。
現在大学生~小学生まで1男3女の子供がいます。子育てを通して感じたことや子どもの教育に関する情報発信をしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
最近「親ガチャ」という言葉が日本で注目を浴びていますね。
はじめて「親ガチャ」という言葉を聞いたとき、どのように感じましたか?
「ドキッ」とした人、「なるほど~」と納得した人、なんともいえない嫌な気持ちになった人、なんとも思わなかった人、いろんな感じ方があると思います。
また子どもの立場か親の立場かでも「親ガチャ」のとらえ方はちがってきますね。
「子どもは親を選べない」と昔からいわれてきましたが、なぜ今「親ガチャ」という言葉が日本の若者たちの間で広がっているのでしょう。
「親ガチャ」について調べる人は、この言葉に違和感を感じたり、なぜか気になって引っかかったりしている人が多いと思います。
今回は「親ガチャ」という概念についていっしょに考えていきましょう。
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そもそも「親ガチャ」という言葉の意味は?
「親ガチャ」とは、子どもは親を選べず、生まれ持った環境や能力によって人生が左右されることをカプセル式自販機の玩具である「ガチャガチャ」にたとえた言葉です。
確かに「ガチャガチャ」でどんなオモチャが出てくるかは完全に「運」によりますが、同じオモチャが出ても喜んで遊ぶ子どももいれば、「こんなもの欲しくなかった」とガッカリする子どもだっていますよね。
この場合「親」がガチャガチャで出てきたオモチャにたとえられるわけですが、どうも「親」の資質や性格だけで「親ガチャ」の当たりやハズレが決まるわけではなさそうです。
「親ガチャ」という言葉のとらえ方:子どもの立場から
子どもはどんな気持ちで「親ガチャ」という言葉を使っているのでしょう。
「親ガチャ当たり!」と思っている子どもは、そもそも「親ガチャ」なんて言葉自体使うことはないでしょうね。
「努力が報われない」と感じたり、生きづらさを感じたりするときに、うまくいかない理由を親や生まれ育った環境のせいにすることでストレスを発散しているイメージでしょうか。
少なくても「親ガチャ」と気軽に口に出せる場合、あまり深刻な状況ではないのかな、と思います。
子どもの立場から:貧富の差による「親ガチャ」
「親ガチャ」の当たりやハズレは、親の経済力によって決まる部分が大きいと考えられているようですが、はたして本当にそうでしょうか。
裕福な家庭に生まれ育つと、確かに「生活に困らない」「いい教育を受けられる」「大きな家に住める」など恵まれた環境で暮らせることは確かですね。
ただお金持ちでも子どもを虐待する親はいますし、過度なプレッシャーを与えて子どもをつぶしてしまう親だっていますよね。
むしろ経済的に恵まれた家庭の子どもが心に抱えている闇の方が、表に出にくいという意味でも深いように思います。
どうも親の経済力だけで「親ガチャ」の結果が決まるという単純な問題ではなさそうです。
子どもの立場から:親の育児力の差による「親ガチャ」
貧富の差よりは「親の育児力」による差の方が、子どもの人生に与える影響ははるかに大きいといえるでしょう。
- 親自身が幸せであるか
- 子どもとしっかりコミュニケーションをとれているか
- 自分が子どもだった頃の古い価値観を押しつけていないか
- 子どもの個性を大事にしているか
「育児力」については細かく書き出すと他にもあげられますが、案外経済的な要素は少ないように感じます。
裕福な家庭で何不自由なく育った子どもが親を恨んでいるケースは多々ありますし、豊かな暮らしでなくても親のことが大好きな子どもだってたくさんいます。
経済力と育児力は決してイコールではありませんね。
子どもの立場から:教育ママは「親ガチャ」ハズレなのか?
教育ママに育てられて勉強はツラかったけど、念願の医者になれてよかった。
親が教育熱心ですごくイヤだった。本当はもっと遊びたかった。
小さい頃からもっと厳しく勉強させてほしかった。そうすればもっとレベルの高い大学に行けたはずなのに。
上の3パターンは実際に聞いたことのある話です。
教育ママ(パパ)に育てられたケースでも、そうでない場合でも親に感謝する子どももいればやはり親に不満を持つ子どもだっているわけですね。
結局「自分自身が現状に満足しているかどうか」によって親との関係性も変わるのかな、と思います。
そして現状を打破して道を切り開いていくのは自分自身ですね。
ということは、「親ガチャ」の当たりやハズレは「どんな親であるか」というより自分の心のあり方や行動によって決まる部分が大きいといえるのではないでしょうか。
「親ガチャ」という言葉のとらえ方:親の立場から
子どもから「親ガチャにハズレた」と言われるとショックですよね。
ショックを通りこして「一体だれに育ててもらっているの!」と怒りが爆発する人もいるかもしれません。
同じ家庭環境で育った兄弟姉妹でもまったくちがう人生を歩んでいきます。
虐待や育児放棄などの場合を除けば、「子ども自身の持って生まれた性格」と「親子間の相性」によって決まる部分が大きいのかな、と思います。
「親ガチャ」という言葉に嫌悪感を抱く前に、「親ガチャ」という言葉を使いたくなる子どもの心理を考えてみましょう。
勉強や仕事などが上手くいかないときに使える便利な言葉として広まっている部分もあるでしょうし、親と自分の価値観の相違に対する不満があるのかもしれないし、「産んでくれなんて頼んでない」という言葉の現代版?とも思えます。
どんな親にも子ども時代があったはず。
いざ自分が親になると、子どもの心が理解できなくなるのは不思議ですね。
もし「親ガチャにハズレた」と子どもに言われたら、子どもと向き合うチャンスだと考えましょう。
「親ガチャにハズレた」と子どもに言われたら
- なぜそう思うのか理由を尋ねる
- 子どもの言い分に理解を示す
- 人を傷つける言葉であることを伝える
- 誰よりも大切に思っていることを伝える
上の4ステップで充分ではないでしょうか。
親が愛情を持って子供と接し、ひたむきに生きていればいつか子どもも「親ガチャ、実は大当たりだったのかも」と思うときがやってくるかもしれません。
それが数十年先、自分がこの世からいなくなった後であってもいいではないですか。
そもそも人生は「ガチャガチャ」だらけ
- 時代ガチャ
- 出身国ガチャ
- 地域ガチャ
- 親ガチャ
- 兄弟姉妹ガチャ
- 親族ガチャ
- 経済ガチャ
- 頭脳ガチャ
- 運動神経ガチャ
- 名前ガチャ
- 容姿ガチャ
- 兄弟姉妹ガチャ
- 学校ガチャ
- 担任ガチャ
- 職場ガチャ
- 配偶者ガチャ
- 健康ガチャ(遺伝子ガチャ)
数えあげればきりがないくらい、人生は「運」に左右されています。
まさに「ガチャガチャ」だらけですね。
配偶者は自分で選ぶから「ガチャ」ではないのでは?と思われる人もいるでしょう。
ただ結婚観そのものが「親」や「生まれ育った環境」によって形成されることを考えると、配偶者も自分の意思で選んでいるようで、実はくじ引き的な「運」の連続の結果なのでは、と思えるのです。
「親ガチャ」の一部に入る「金融教育」
上には書いていませんが、今の時代「金融教育」によっても子どもの人生は大きく変わります。
これからの時代は「高学歴&高収入」より大事な概念ではないでしょうか。
しっかり金融教育を受けた子どもと、そうでない子どもとでは「生きやすさ」がちがってきます。
幸いなことに、家庭内での「お金教育」にはほとんどお金がかかりません。
塾に通わせる必要もなければ私立に通わせる必要もないですね。
金融教育にはほとんど「元手」がかからないのに、その効果は絶大です。
ぜひみなさんのご家庭でも「金融教育」をとり入れてくださいね。
「親ガチャ」を当たりにするために
親を変えることができないなら、自分で「親ガチャ」を当たりにしてしまいましょう。
すべてにおいて「自己責任」「自分次第」「努力が大事」と言うつもりはないですが、「幸せ」は決して他人から与えられるものではありません。
自分の心を満たせるのが自分だけなら、自分の人生を切り開けるのもまた自分だけですね。
今の日本に生まれただけで大当り
ライフラインが整っていない発展途上国では、「親ガチャ」という言葉は広まらないでしょう。
蛇口をひねるとキレイなお水が出てきて電気やガスも問題なく使える、というのも世界に目を向けると当たり前のことではないですね。
もし内戦やテロが起きている国に生まれていたら、また日本であっても戦争時代に生まれていたら、「親ガチャ」どころではありません。
「時代ガチャ」「国ガチャ」といったもっと規模の大きな問題になってきます。
「親ガチャ」が問題になるのも、文明が発達した成熟国家ゆえのことですね。
うちでも子どもたちが、
「学校行きたくないなー。」
「勉強めんどくさ~い。」
と言うと「世界には学校に行く夢を抱き続けている子どもがいる」「勉強したくてたまらない子どもがいる」という話をしています。
「え~!勉強したい子なんているの?」と驚いていますが、現代の日本に生きているとピンとこないのは当然ですね。
「もし別の親の元に生まれていたら」はあり得ない
「親ガチャにハズレた」と思っている人は、「もし別の親の元に生まれていたら、もっとちがった人生を歩めていたはず」と考えるわけですが、別の親であれば本当に素晴らしい人生が待っていたのでしょうか。
そもそも別の親から生まれていれば、今とはまったくちがった遺伝子を受け継いでいたため「今の自分」ではなくなりますよね。
もし別人になって容姿や頭脳などの悩みがなくなっても、遺伝子が変われば必ずまた別の悩みが生じます。
今度は「薄毛」や「病気」が遺伝するかもしれません。
完璧な人間がひとりも存在しないなら、完璧な親も完璧な遺伝子も存在しないことになりますね。
どんな親の元に生まれても、言葉は悪いかもしれませんが、必ずどこかで「ハズレ」を引くことになるのです。
これは人の一生を最後までみてみないとわかりません。
みんな人生の途中経過にある他人の、ごく一部分だけをみて「あの人はいいなあ」「自分もあんな家に生まれたかったなあ」と羨ましく思っているだけなのです。
人間は「今得られているもの」に感謝しにくい
人間って、今自分が得られているものは「手に入って当たり前」と感じています。
朝起きたら両目が見えて両手両足が自由に動くこと、1秒も休むことなく心臓が動いてくれていること、朝「行ってきます」と家を出た家族が無事に帰宅すること、すべて当たり前のことではないはずです。
親との関係性も同じではないでしょうか。
親から与えてもらったものは与えられて当然だと感じ、どうしても得られなかったものに意識がいきます。
生まれて1時間後には立ち上がる動物の赤ちゃんとちがい、人間はとても未熟な状態で産まれてくるため、必ず誰かに手取り足取り世話をしてもらわないと無事に成長できません。
今ここに存在しているということは、親や周りの人たちからたくさんのものを与えられてきた証拠ですね。
それは親の顔を知らずに育った人や、親を反面教師として生きている人でも同じです。
勉強とスキルアップで軌道修正
「親や環境に恵まれなかった。現状を変えたい。」と思っている人は、勉強を頑張ってスキルアップすることがいちばんの近道ではないでしょうか。
今は通学しなくてもオンラインで学べる通信講座があるので、住んでいる場所に関係なく自分の意思で学ぶことができますね。
比較的短時間でとれる資格から、時間をかけて国家資格を目指すコースまで幅広く選べます。
興味のある分野の勉強から始めて、少しずつスキルアップを目指せるといいですね。
まとめ
今回は今流行っている「親ガチャ」について考えてみました。
人は「親ガチャ」というワードをどんな気持ちで検索するのかな?と想像しながら書きましたが、いかがでしたか。
お子さんに「親ガチャにハズレた」と言われた人、ご自身の親との関係にわだかまりがあって何十年たっても解消されずに悩んでいる人、子育てに自信が持てない人など、いろんな方がいると思います。
「親ガチャ」とは言い得て妙な言葉だな、と思う部分も確かにあるので決して「生んでもらっただけでも感謝するべき」「親のせいにせずに自分で努力するべき」などと綺麗事を言うつもりはありません。
ただ現実にある「ガチャガチャ」のオモチャだって、欲しいものが当たる確率は限りなく低いですよね。
わが家の子どもたちも、「ガチャガチャ」を回して欲しいオモチャが出てきたことなんてほとんどありません。
それでも子どもって、偶然出てきたオモチャで案外楽しく遊んでいます。
希望したオモチャが当たらなくてガッカリする子、出てきたオモチャで工夫して楽しく遊ぶ子、同じオモチャを手にしても、それで楽しめるかどうかはやはり本人次第だと思いませんか。