プロフィール

 はじめまして。

よしのんのんと申します。

プロフィールをご覧いただきありがとうございます。

こちらでは自己紹介をさせていただきたいと思います。

横浜市在住の主婦で、1男3女の4人の子供がいます。

出身地 

 

出身は奈良県で、実家は「石舞台古墳」がある「明日香村」の近くにあります。

     

 

 

 

 

奈良県出身と言うと、よく「修学旅行で行ったよ!鹿がいっぱいいる所でしょ。」と言われるのですがその鹿が沢山いる奈良公園よりさらに電車で30分以上南に下った所にある奈良の中でもかなり田舎の方です。

家の近くには「石舞台古墳」以外にも大小様々な古墳があり、何の変哲もない ただの池だと思っていたものまでいにしえの時代の天皇の古墳だったりするので 驚きです。

高校時代

このような土地で悠久の時の流れを感じながら18歳までのんびりと暮らしていました。

幼少期からのんびりしすぎて?ろくに勉強をしてこなかったので高校受験では第一希望の公立高校に合格できず、奈良の山奥にある私立の女子校に通っていました。

朝登校するとタヌキのフンが運動場に転がっているのが当たり前のような自然に囲まれた環境だったのです。

緑の多い小規模のミッション系の女子校で、とても平和な3年間を過ごしました。

第一希望の高校に合格できなかった時はショックでしばらく引きずりましたが、結果的に良い先生や友人に恵まれたので、一見「失敗」だと思えることでもそれが自分の人生にとってプラスに働くこともあるのだと10代半ばで痛感しました。

今となっては高校受験の失敗もその後進学した学校で平和に過ごすことができた 3年間も、とても貴重な経験をさせてもらったと感謝しています。

勉強に関しては文系女子の割合が多い学校だったので、理系科目の勉強はそこそこに高校2年生から私立文系を目指すカリキュラムを選択する人が大半でした。

私自身もそのうちのひとりで、田舎すぎて他に何もすることがなかったのでとりあえず勉強してみることにしました。

元々超文系脳なので文系の3科目は楽しく学習できました。

家から学校まで遠かったこともあり、塾や予備校に通うような時間的な余裕はなかったので学校の勉強とZ会の通信添削、自分で選んだ少しの問題集と過去問(赤本)だけで勉強していました。

いいかどうかは分かりませんが、それまであまり勉強をしてこなかったので余力もそこそこあったように思います。

    

大学時代

 

最初は自宅から通える関西の大学に進学するつもりでしたが、いつの間にか東京の大学を目指すようになっていました。

そして18歳で生まれ育った奈良を離れ、大学は早稲田大学の法学部に進学することになりました。

男女の比率的には同じ大学の経済学科の方が魅力的だったので(9割以上男子)悩みましたが、当時は経済について学ぶことに興味を抱くことができずに法学部に進学することを決めました。

大人になってからは文学部の「哲学科」や「心理学科」に進学した方が面白かったかも、などと思うこともありました。

考えると、18歳の時点で将来進むべき道を選択するというのはなかなか難しいものです。

 

奈良の田舎から上京してからは、キャンパス内でも街中でもカルチャーショックの連続でした。

新宿駅に行くと、普通に歩いているだけで靴を踏まれまくるくらいの人の多さ。

バスの本数が1時間に1本あるかないかの奈良の田舎では考えられないことです。

大学のキャンパス内には、北は北海道から南は沖縄まで日本全国から学生が集まっていたのであちらこちらで土佐弁や博多弁などの方言が飛び交っていました。

やっと仲良くなれそうな友達ができたと思っても、最初はコミュニケーションをとるのにも一苦労。

相手の言いたいことを表情や雰囲気から察する力?みたいなものは、大学入学後の数ヶ月間でかなり鍛えられたように思います。

今は首都圏の出身者が大半みたいですが、当時は生粋の標準語を話している人の方が珍しいくらいでした。

また東大の法学部が残念で入学してきている人が沢山いました。

「東大なんてダメ元で受けただけだよ。」と謙遜する子ばかりでしたが、そんな友人たちと接する中で自分の頭の弱さを痛感して自信を失うことも多々ありました。

ずっと田舎にいてある意味「井の中の蛙」のままでいた方が幸せだったかもしれませんが、現実を直視することができたのはやはり長い目で見た際に自分にとってプラスになったと思います。

大学時代はなかなか刺激的で楽しい4年間を過ごすことができました。

定期テスト直前には誰のものとも分からない模範的なノートのコピーがそこら中で配布されて「原本の持ち主は誰?」状態。

テスト前日に「ああでもない、こうでもない。」と大騒ぎしながらみんなで単位取得というひとつの目標に向かって一緒に勉強したのは今でもいい思い出です。

キャンパス内を下駄と学ランで歩いている男子も見かけました。

「どんな人でも受け入れる器の大きさや懐の深さ」が特徴的な学校でした。

自分ではごく普通のキャンパスライフを送っていたつもりでしたが、卒業して何年も経ってから「あれは普通の環境ではなかったのかもしれない。」と思うようになりました。

 

「青春」のまっただ中にいる時にはその価値に気づけないものですね。

 

文系の学部とはいえ、7~8割は男子だったのでとりあえず周りは男子だらけでした。

男友達と一緒に山盛りの唐揚げ弁当を平らげたこともありました。

否が応でも4年間を通して男子の生態を目の当たりにすることになり、その経験が自分自身の結婚観にも少なからず影響を与えたと思っています。

「とりあえず結婚相手には真面目で誠実な人を選ぼう。」と強く心に誓いました。

 

いずれにしても、「仲間意識は強いけれど精神的には決して群れることのない程よい距離感」 を保った友人関係がマイペースな性格の私にはとても心地の良いものでした。

卒業後~結婚

大学を卒業した後は奈良の実家に戻り、大阪にある法律事務所に就職をして弁護士の秘書として働いていました。

大学時代は机上の上でしか学んでこなかった法律でしたが、実務を通じて立体的に法律を学ぶことができたのはとても面白かったです。

学問としての法律を面白いと思えたことは正直あまりなかったのですが、実社会で法律がどのように運用されているのかを知ることは興味深かったです。

 法律事務所で働くことで初めて「血の通った法律」に触れることができたと感じられました。

 

  

 

法律事務所での仕事を通じて、様々な金銭問題や人間関係のトラブルを目の当たりにしました。

そしてここでも再び「結婚相手には真面目で誠実な人を選ぼう。」と強く心に誓うことになります。

というわけで、その後25歳の時に予定通り心に誓ったタイプの人と結婚しました。

最初は奈良に住んでいましたが、長男が2歳の時に主人が東京に転勤になったのでそれ以降はずっと横浜市に住んでいます。

 

現在

 

2020年に末っ子が幼稚園に入園したことで約14年ぶりに自分の時間を持てるようになりました。

まるで背中に羽が生えたような身軽さ。

今なら2階のベランダから空に向かって飛べるかも、なんて本気で思ったものです。

それまでも土日祝日だけは月に数回外に働きに出ていましたが、平日も在宅ワークを 始めることにしました。

現在、週末はマンションのモデルルームで受付の仕事をしつつ、平日はフリーランスとして

ライティングやテレマーケティングの仕事をしています。

 

書くのに疲れたら喋る仕事をして、喋るのに飽きたら今度はパソコンに向かって書いて、と喋ったり書いたりしています。

家族6人分の家事をこなしながら4人の子供達の世話をしつつ仕事も、となると毎日かなりのタイトスケジュール。

おかげさまで、充実し過ぎているくらい充実した毎日を送っています。

こちらのブログでは子育てや仕事のこと、また自分や家族のライフスタイルに取り入れて良かったと思えるものやおすすめのサービスなどについて順次書いていきたいと思っています。

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

これからもどうぞよろしくお願いいたします。